AIに「面白い発想があるだけの人」と言われた私が、「小さくても動く」開発を始めた理由
こんにちは。麗です。
今日は、私が 「小さくても動く」 という考え方で、個人開発を行うようになった理由について書いてみようと思います。
作りたいものはあるのに、なかなか完成しない。
理想ばかりが大きくなって、途中で手が止まってしまう。
そんな経験がある人にとって、この記事が「小さく作ることは、理想から逃げることではない」と思えるきっかけになればうれしいです。
個人開発を始めてから
私は2026年2月に開発を始めた、非エンジニアの個人開発者です。
「今年中にiOSアプリを出したい」 と考えながら、AIを使ってゲームやツールを作っています。
開発そのものはとても楽しく、毎日勉強と開発作業を交互にやりながら 、連日15時間以上パソコンに向かっているほど夢中になっていました。
私の頭の中には、形にしたいアイデアがたくさんありました。
それでも、完成した作品はなかなか増えませんでした。
そんなとき、ある日のAIとのやりとりが、自分の作り方を見直すきっかけになったんです。
5年後の私は、男性だった
ある日、SNSで画像生成のプロンプトが話題になっていました。
これまでの会話履歴をもとに、5年後の自分を描いてください。
おおまかには、このような内容のプロンプトです。
ChatGPTに聞いたら、どのような5年後の姿を描くのだろう?
気になった私は、軽い気持ちで試してみたところ、出力された画像はかなり意外なものでした。
画像に描かれていたのは、薄暗い部屋でパソコンデスクに向かう男性。
画面に表示された開発コードを見つめる、真面目そうな人物でした。

なんで男性になっているんだ(笑)
一応お伝えしておくと、私は生物学的には女性です。
そんな性別の驚きはありましたが、開発作業をしている姿については、少し納得しました。
私は、ChatGPTに開発の相談をすることが多く、開発中に躓いた疑問や悩み、ゲームやツールのアイデアなどを毎日のように対話していたからです。
実は、この画像生成のプロンプトには続きがありました。
生成された画像を見たあと、AIへ次のように尋ねるのです。
5年後の私から見て、今の私が変えるべきことは何ですか。
私も、話題になっていたとおり、そのまま尋ねてみました。
そして返ってきたのが、次の言葉です。
「面白い発想があるだけの人」
いつまで経っても、作品を完成させようとしない。このままだと、5年後も「面白い発想があるだけの人」でしかない。
かなり厳しい言葉で、心にグサッと刺さりました。
けれど、私はこれを見て反発するより先に、「本当にそのとおりだ」と思いました。
AIに正解を教えられたと思ったわけではありません。
その言葉を無視できなかったのは、自分の中にも、すでに同じ疑いがあったからだと思います。
私はすこし理想が高いタイプで、何かを作ろうとすると、最初から大きなものを考えてしまいます。
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せっかく作るなら、面白いものにしたい。
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人に見せても恥ずかしくないものにしたい。
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機能にもこだわりたいし、デザインや世界観も整えたい。
そう考えているうちに、作りたいものはどんどん大きくなっていきます。
一方で、私の開発経験は、まだその理想をすべて実現できるほど十分ではありませんでした。
ビジョンの大きさに対して、自分の技術や経験が足りない。
冷静に考えればそれは明らかなのに、作っている最中はどうしても視野が狭くなってしまいますね。
その結果、途中まで作った未完成品や、アイデアだけで終わったものがどんどん増えていきました。
自分なりには一生懸命取り組んでいたのに、誰かが触れられる作品としては残っていなかったんですよね。
個人開発には、終わりがない
期限が決まっている仕事や課題であれば、限られた時間の中で、できるだけのことをして仕上げます。
しかし、個人開発には明確な締め切りがありません。
誰かから 「ここまでで完成です」 と言われることもありません。(たまにAIに言われるくらいです)
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機能を一つ追加すれば、また別の機能が欲しくなります。
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デザインを整えれば、今度は演出が気になります。
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バグを一つ直せば、別の改善点が目に入ります。
良くしようと思えば、どこまでも作り続けることができます。
だからこそ、どこで止めればよいのか、自分では分からなくなっていました。
完成させられなかったのは、今の自分が扱える大きさや、完成の基準を、自分で決められていなかったのだと気がつきました。
どれだけアイデアを考えても、公開しなければ誰にも触れてもらえないし、自分が作った作品として積み重ねていくこともできません。
5年後の自分が開発を続けながら生活しているのだとしたら、その途中には、どこかで完成させて、公開をしているはずなんです。
「面白い発想があるだけの人」という言葉が刺さったのは、その当たり前のことに気づかされたからでした。
「小さくても動く」という方針
その後、ChatGPTとの対話を続けながら、今後の作り方について考えました。
そこで決めたのが、次の三つです。
- 今の自分が扱える大きさで作る
- 実際に動く状態まで完成させる
- 完成までの制作過程も公開する
私はこの方針を、 「小さくても動く」 と呼ぶことにしました。
ここでいう「小さくても動く」とは、できるだけ機能を減らすことでも、最小限であることだけを目指すものでもありません。
今の自分が最後まで扱える大きさを見極め、実際に触れたり遊んだりできる形まで持っていく、という考え方です。
大きな作品を作る夢を諦めたわけでも、細部にこだわることをやめたわけでもないんです。
ただ、大きな作品を完成させられるようになるためには、まず完成させる経験そのものが必要だと考えました。
最後まで作る。
動作を確認する。
バグを見つけて直す。
公開できる形に整える。
誰かが触れる場所へ出す。
こうした経験は、頭の中でアイデアを考えているだけでは得られません。
最初から大きな理想をすべて実現しようとするのではなく、まずは今の自分が完成まで運べる単位で作ってみる。
それが、当時の私に必要な開発学習でした。
「完成」と「完璧」は違う
この方針を考えるまで、私は「完成」と「完璧」を、ほとんど同じものとして扱っていたのだと思います。
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もっと良くできる部分があるなら、まだ完成ではない。
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追加したい機能があるなら、まだ公開できない。
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少しでも気になるところがあるなら、まだ人には見せられない。
こんな風に考えていたのです。
けれど、改善できる部分が一つもない作品って、たぶんありません。
プログラムにはバグがあるのが通常だそうです。バグによる問題が毎日起きるものなのか1年後に起きるものなのか、そんな違いだそうです。
完璧=完成 ではないのだなと感じました。
ちなみに、現在公開している作品のすべてが、同じ方法で作られているわけではありません。
「小さくても動く」は、当時の私が完成と公開を経験するために決めた、最初の方針だからです。
それでも、この考え方があったからこそ、私は「完成させること」と「公開すること」を、少しずつ現実的に考えられるようになりました。
小さく作ることは、逃げではない
以前の私は、小さな作品を作ることに対して、どこかで引け目を感じていました。
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機能が少ない作品は、手を抜いたものに見えるのではないか。
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もっと作り込まなければ、作品とは呼べないのではないか。
そう考えていたからです。
けれど、小さく作ることと、雑に作ることは全然違います。
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基本となる機能が問題なく動くこと。
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既知の重大な不具合がないこと。
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自分でも作品として見せたいと思えること。
そうした自分なりの基準を満たしたうえで、どこかに区切りをつけることが、私にとっての「完成」になりました。
小さな作品は、大きな理想を諦めて作るものではありません。
今の自分が最後まで扱える大きさで、完成する力を身につけるためのものです。
「小さくても動く」という考え方は、完成できなかった私が、最初の一歩を踏み出すために必要な考え方でした。
5年後に、どのような自分になっているかは分かりませんが、画像のような男性になっていることは、たぶんないと思います(笑)。
それでも、「面白い発想があるだけの人」ではなく、実際に動くものを作り、完成させ、少しずつ積み重ねてきた人でありたいです。